2012年の新ベルギー物語

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No.187  むかしむかしのベルギ-では

No.187  むかしむかしのベルギ-では

 皆さん、明けましておめでとうございます。
 といっても、大震災の被災地の皆さんには、とてもおめでとうございますなどと申し上げることはできません。
 でも、2012年が少しでもよい年でありますようにとの願いを込めて、敢えておめでとうございますをいわせていただきます。
 2011年の1月元旦に、誰が3月11日の巨大地震と津波を予測したでしょうか。誰が福島原発の問題を予測したでしょうか。
 運命論とか宿命論に従えば、その人はそうなる運命だったのだということになるのでしょうが、それでは大震災の犠牲になった方や、今も生まれ育った故郷に帰れない方々に申し訳が立ちません。人間に自由意志がある限り、運命論や宿命論に組するわけにはいきません。祖国、日本の人々は 困難に打ち勝ち、困難を乗り越える叡智をもっていると信じてます。新しい年が希望のもてる年でありますよう、心から祈りたい気持ちでいっぱいです。

 2012年も、大多数の在留邦人の方々は、このベルギ-という国にお世話になりながら生活をしていくことになるでしょう。
 大きな自然の災害こそありませんが、この国もなにかと大変なことが多いですね。
 この稿を書いている現在、ベルギ-にはまだ正式な政府がありません。総選挙の結果がでてからもう515日もたっています。みんな慣れっこになってしまったのか、最近はマスコミの扱い量もぐっと減ってしまいました。
 政権に参加するフラマン語圏とフランス語圏の政党間で、重大な障害になっていた選挙区の問題と裁判権の問題でなんとか合意にこぎつけたので、国民はもう大丈夫と思っているのかもしれません。

  ベルギ-の政治危機は忘れたころにやってくる自然災害ではなく、季節の変わり目に顔を出す身体の不調みたいなものです。
 わたしがベルギ-に来てから経験した政治危機は、両手の指では数え切れません。わたしがベルギ-のル-ヴァンに着いたときは、ルーヴァン大学分離問題の余韻がまだ残っていました。
 昔、本欄に書いたことがありますが、ル-ヴァン大学分離問題はベルギ-のフラマン語圏とフランス語圏の対立が先鋭化し、現在の政治危機まで続く一つの起因となった大事件でした。
 1830年にベルギ-が独立したときのベルギー国憲法は、フランス語でしか書かれていませんでした。独立以来、ベルギ-の高等教育の言葉はフランス語だけでした。フラマン語で勉強できたのは、小学校までです。
 ですから、ベルギ-の上流階級、財界、政府、軍隊の将校、教会の高位聖職者などの指導階層はフランス語で教育を受け、フランス語しか話しませんでした。フラマン語は完全になおざりにされていたのです。
 今のベルギ-では考えられない話しですが、当時のベルギ-で最もきれいなフランス語を話していたのは、ゲントのフラマンの上流階級だったといわれてます。

 1425年創立のルーヴァン大学は、昔は授業はラテン語で行われていましたが、近世に至り授業の言葉はフランス語になりました。
 自分たちの言葉をなおざりにされていたフラマンの人たちが、黙っていたわけではありません。フラマン語の権利回復運動は年々活発になり、特に第一次大戦を契機にしてフラマン語の高等教育機関が次々と生まれました。
 これは、ベルギ-に侵攻したドイツの軍政が、同じゲルマン系の言葉であるフラマン語の地位を高める政策を採ったためです。
 ルーヴァン大学にもフランス語と並んでフラマン語の学科が併設されました。このドイツの占領軍政策に対して、当時のベルギ-のカトリック教会の最高位にあったメルシエ枢機卿はカトリック大学であるル-ヴァン大学の理事長でもありましたが、「フラマン語は学問の言葉としてふさわしくない」と発言して、フラマンの民族主義者の憤激をかったのは有名な話しです。
 面白いのは、当時のフラマンのインテリ階層のなかで、メルシエ枢機卿の発言に同調する人がかなりいたという事実です。

 メルシエ枢機卿は学問の世界でも世界的に知られた碩学でした。そして、ドイツ軍の占領政策からベルギ-国民を守るため、断固として占領軍に抵抗した硬骨の人でもありました。占領軍にとって、メルシエ枢機卿はまさに目の上のたんこぶ的存在でしたが、同じキリスト教国であるドイツは、カトリック教会の枢機卿がどれほど重要な地位であるかを知っていましたので、メルシエ枢機卿に手を出すことができませんでした。
 「フラマン語は学問…」の発言でミソはつけたものの、メルシエ枢機卿は大戦後、国民的な英雄としてベルギ-国民の声望をにないました。
 ブリュッセルのサンミッッシェル教会の横に枢機卿の銅像が立ってますので、今度通るとき見てください。

 ル-ヴァン大学にフランス語とフラマン語の学科ができて、めでたしめでたしで行けばよかったのでしょうが、そうは行きませんでした。
 フランドル地方の経済的な発展とあいまって、フラマンの人たちの権利回復運動はつに言語法の成立にまで至りました。
 言語法とは、簡単にいえば言語境界線を定め、境界線の中では司法、行政、教育などは定められた公用語で行うというものです。
 ベルギ-国内を車で走ってると、言語法の存在がよくわかります。道路標示の言葉が変わりますから。それにしても、MonsをBergenと表示するのはやめて欲しいですね。Monsに行きたい外国人にはいい迷惑です。もちろん、AntwerpenをAnversと表示するのもまずいでしょう。
 ま、お世話になってる国にあまり文句はいわない方がいいでしょうが、困ることは困りますね。

 言語法で問題になるのがル-ヴァン大学です。大学のあるル-ヴァンの町は言語法で定められたフラマン語圏にあります。そこで15000人以上の学生がフランス語で教育を受けているのは、明らかな法律違反です。
 言語法成立のとき、ル-ヴァン大学は特例としてフランス語での教育を認めるという妥協案が認められました。
 しかし、フラマンの民族主義運動、権利回復運動はこの妥協案をも葬り去りました。
「ワロン出て行け !!」の叫びと共にフラマン系学生デモが連日繰り返され、これに対抗するフランス語系学生のデモ隊との衝突により、ついに学生の死者まで出る事態になりました。内閣は総辞職し、ルーヴァン大学の分離が決まりました。
 この事件はベルギ-の国民の間に越え難い溝をつくり、人々の心にトラウマとして残りました。

 わたしがル-ヴァンに着いたときは分離が決定した後でしたが、フランス語系の新ル-ヴァン(La Louvain-la-Neuve)は工事が始まったばかりでしたので、古いLeuvenで勉強してました。一緒に使ってたのは、中央図書館と学食ぐらいで、大学事務局や教室は完全に分かれていました。さらに、学生がビールを飲むカッフェもフラマン系学生の行くカッフェとフランス語系学生の行くカッフェははっきり分かれてました。
 もっとも、わたしの場合日本人なので、両方のカッフェに出入りしてましたが、フラマン系のカッフェではさすがにフランス語を話せる雰囲気ではありませんでした。

 総選挙のあと一年以上も政府がなかったり、二つの言語圏の対立でベルギ-国そのものの存続さえ危ぶまれたり、ベルギ-という国はなにかと大変なことの多い国です。
 でも、この国の人たちは昔ながらの生活スタイルを守り、ヴァカンスはきちんと取り、食べたり飲んだりすることが好きで、おいしいレストランはいつも満員です。
 しかも経済成長率ではEU加盟国の中でも優等生です。政治家がいなくても、国民はちゃんとやっていける見本のような国がベルギ-ではないか。フランスもベルギ-を見習ったらどうかとは、フランスの新聞が皮肉っぽく書いていた言葉でした。

 ベルギ-という国は、今から180年前にオランダから独立してできた国です。歴史的には比較的新しい国です。
 しかしこの地に住んでいた人々の歴史は、他のヨ-ロッパ諸国の民族の歴史と比べても、いささかも遜色のない長い歴史をもってます。
 昔からこの地に住んでいた人たちは、どんな生活をしていたのでしょう。
 まず、昔の人たちはみんな早起きでした。日の出で前に起きるのが普通でした。日の出前に起きて身支度をし、太陽の光が出るとともに働きに出ました。人々は朝が待ち遠しかったのです。中世の夜は本当に闇の世界でした。
 ローソクは貴重品でしたので、太陽が沈み夜の闇がおし寄せてくると、人々は寝るしかありませんでした。朝の太陽の光が、どれほど人々の心を明るくしてくれたか、現代人の私たちの想像をはるかに超えるものがありました。
 キリスト教の復活祭が春に祝われるのも、昔の人々の光への飢えを満たすためだったのではないでしょうか。
 寒くて暗い冬をじっと耐えるだけではなく、食料不足による飢えとの闘いがありました。パンを焼くための小麦は底をつき、秋に仕込んだ豚の塩漬け肉もなくなってきます。人々の春を待つ気持ち、光への渇望がキリストの復活を祝う気持ちと結びついたとしても、不思議はないでしょう。

 中世の人々は何を主に食べていたのでしょうか。
 戦争や天候不順による飢餓が珍しくなかった時代に、食べるということは生活の上で最も重要な要素でした。
 ただ、同じ食べるという事象をとりあげても、王侯貴族の食卓と一般庶民や農民の食卓の間には大きな差がありました。
 一般庶民や農民の常食は、パンとそら豆えんどう豆などの豆類をいれたス-プでした。特にパンをたくさんべました。パンをス-プに浸して食べるのが一般的な食べ方です。われわれ日本人のご飯と味噌汁みたいなものです。
 パンをたくさん食べる伝統は今でも続いてます。皆さんはこちらの人と会食するとき、彼ら或いは彼女らがよくパンを食べると思いませんか。
 テ-ブルに着くと、ボ-イさんが持ってくるパンをちぎってむしゃむしゃと食べ始めます。食事中もパンを食べ、デザ-トの後、パンとチ-ズで残っているワインを楽しみます。よく胃袋に入るものだと感心します。
 他の言葉ではどういうか知りませんが、仏語に関していえば、「ス-プを飲む」とはいいません。「ス-プを食べる」といいます。この言い方は、昔からの伝統的な食事の仕方から来ているのでしょう。

 領主や貴族、都市の富裕層の食卓はパンとス-プがメインではありません。
 堀米庸三先生の本に、中世のパリの裕福な市民の正餐メニュ-がでてましたので引用します。
 第一コ-ス:牛の脂および骨髄を刻み込んだ子牛のパテとうなぎのパテ、ブダンノワ-ル(豚の血と脂で作った一種のソーセ-ジ)とソーセ-ジ腹にひき肉をつめた木ひばり、  ノルマンディ-産のパテ。
 第二コ-ス:兎のシチュ-(玉ねぎ、葡萄酒入り)、うなぎのシチュ-、そら豆 の濾し汁、牛と羊の大ぶり塩漬け肉。
 第三コ-ス:去勢鶏、兎、子牛、山うずらの焼肉、淡水産、海水産に焼き魚。
 第四コ-ス:辛子ソ-ス入り鯉のス-プ、脂肪とパセリのパン入りス-プ添え肥えた去勢鶏のパテその他。
 第五コ-ス:豚の脂肉入りス-プ、米、うなぎ、海水、淡水の焼き魚、肉だんご、クレ-プ、砂糖。
 第六コ-ス:プリン、花梨の実のサラダ、煮梨、糖菓、肉桂入り甘葡萄酒他。

 いくら正餐のご馳走とはいえ、本当にこんなに食べたのでしょうか。普通の日本人なら、ひとつのコ-スだけでお腹がいっぱいになってしまうでしょう。
 かねがね、欧米の人の健啖ぶりには感心することが多かったのですが、中世の人たちの方がすごかったようですね。
 皆さんは、このメニュ-の中で、是非食べてみたい、おいしそうと思われる料理がありますか。わたしは残念ながらありません。
 この中に、一つだけ何度か食べたことのある料理があります。
 それは、第一コ-スにある「ブダンノワ-ル」です。ブダンにはブダンノワ-ル(黒)とブダンブラン(白)の二種類があります。黒は豚の脂と血がべ-スで、白は豚の脂と肉がベ-スです。いずれも、材料を腸詰めにしてゆでたものです。
 中世の人々にとって、豚は貴重な食料源でした。豚は肉の利用だけでなく、ハムやソーセージ、サラミ、ブダンといった多彩な加工品を生み出してくれます。スペインのパタネグラやイタリアのサンダニエルといったすばらしい生ハムを味わえる幸せは、もちろん材料となる豚のおかげですが、絶え間ない創意工夫をこらして、おいしいハムを作ってきた中世以来の人々のおかげです。
 豚は捨てるところがないといわれますが、ブダンの材料として、まさに血の一滴までも利用してました。
 皆さん、もしブダンを食べてみたかったら、ス-パ-で買うより専門の肉屋さんで自家製のブダンを買った方がおいしいです。
 ベルギ-では昔、新年に白ブダンを食べる習慣がありましたが、今はこの習慣は廃れてしまったみたいです。

 中世の人々は豆類をたくさん食べてました。
 豆のお話では旧約聖書創世記に、エサウが狩りに失敗して弟のヤコブにレンズ豆の煮物を食べさせてもらった代償に、自分の長子権を弟に譲る話が有名です。
 豆は良質のたんぱく質を豊富に含み、コレステロ-ルを減らす働きがあり、抗酸化にもいいそうですね。昔の人たちは豆の科学的分析結果などは知らなくとも、身体にいい食べ物を本能的に知って食べていたのでしょう。
 日本人の好きな枝豆にビ-ルも身体にはいいのでしょうか。わが「ベルギ-痛風友の会」のメンバ-に限っていえば、枝豆はよくてもビ-ルは飲まないほうがいいのです。ビ-ルには、痛風を引き起こす原因となるプリン体なる物質が豊富に含まれているからです。枝豆もこれが乾燥大豆になると、プリン体がぐんと跳ね上がりから不思議です。ま、痛風持ちでない方には関係のない話しではありますが。

 飲み物は地方によってワインだったり、ビ-ルだったりしまたが、現在のベルギ-の辺りではもっぱらビ-ルが飲まれてました。ビ-ルを飲んでたのは、健康上の理由が大きかったのです。水の質が悪く、また浄化装置などない時代ですから水の汚染が結構大きな問題でした。水分をビ-ルから取るというのは、生活の知恵でもあったわけです。
 ところでお父さん、お父さんがビ-ルを飲むのは水分補給が目的ではありませんよね。仕事の後や、汗をかいた後に飲むビ-ルがおいしいからでしょう。ほろ酔い気分もいいですね。今年も、ビ-ルのおいしいベルギ-で暮らせる幸せをかみしめ、ベルギ-の皆さんに感謝しながら元気に行こうではありませんか。    (かんとう)



No.188  フランス料理の危機

188.フランス料理の危機

 最近、ちょっと面白い経験をしました。
 それは、2週間の日本出張で体重が2.5キロも減ったことです。日本滞在中に食を抑えたわけではありません。仕事がうまくいかなくて、悶々と眠れぬ夜を過ごしたわけでもありません。食欲が衰えたわけでもありません。
 それどころか、ベルギ-にいては食べられない日本のおいしい料理や珍しい料理を片っぱしから食べあるき、夜ごと取引先や日本の知人や友人とおいしい酒をたっぷりと飲んできました。

 居酒屋大好き人間なので、東京の居酒屋名店紹介本を片手に次々と居酒屋制覇を試みてきました。中にはミシュランの一つ星をもらってる居酒屋もありました。
 居酒屋の醍醐味は、カウンタ-に座って店のご主人や板前さんとしゃべりながら一杯やることだと、自分では思ってます。しかし大東京のど真ん中で、一見の客である自分の話し相手になってくれる奇特なご主人や板前さんはそんなにはいません。 
 話しのきっかけをつかむためにまずやったことは、店に福島の酒があるかどうかを聞くことでした。福島の酒がなければ、せめて東北の被災地の酒があるかどうかを聞きました。お陰で福島の酒をおいてる店では結構話がはずみました。自分が福島県の出身であることや、流れ流れてベルギ-までたどり着いた話しなどをすると、店のご主人や板前さんとの会話は結構盛り上がりました。

 日本に行って、なぜ体重が減ったのか考えてみました。
 思い当たることは二つあります。一つは日本の食べ物です。純粋な日本料理は世界で最も健康的な食べ物であると確信しています。この料理を食べていれば太るはずがありません。日本人のメタボは、日本料理の伝統から外れたものを食べることによって起こると考えてます。
 先日、日本の新聞に出ていましたが、人口に対する肥満体の割合のトップがアメリカで、なんと人口の34.30%もの人が肥満体なのです。これに対して、日本人の肥満体率はたったの3.40%です。この数字を見ても、日本食がどれだけ健康的であるかがわかります。

 個人的な好みとして、脂っこいものや揚げ物はあまり食べません。もともと日本料理に脂っこい食べ物はないので、自分にはぴったりの食べ物です。
 天麩羅は揚げ物ですが、本職の天麩羅職人が、ごま油などの良質の植物油を使ってからりと揚げた天麩羅は、胃にもたれたり、肥満の原因になることはありません。
 ベルギー名物のフリッツの揚げ油には動物性の脂が入ってます。これで揚げたフリッツにマヨネ-ズをべちゃりとかけて食べ続ければ、身体に与える影響がどんなものか、わが天麩羅との違いは明白です。
 トンカツとかカツレツは日本食には入ってますが、もともと外来の料理で正統派日本料理ではないと思います。
 わたしの友人でイベリコ豚のカツドンやカツカレ-はまって、毎日のように食べた結果、ついに糖尿病になった男がいますので気をつけましょう。

 ところで、天麩羅は純粋な日本料理なのでしょうか。どうやら天麩羅の起源は西洋料理にあるようです。
 16世紀にポルトガル人が初めて日本に渡来してから、西洋の文物が日本人の生活に入りこみ始めました。その中に天麩羅があったようです。
 日本に来ていたポルトガル人たちが、毎年春先のある時期になると、あれほど好きな肉食をぴたりとやめて、魚やえびなどを溶いた粉にいれて、油で揚げて食べるのを日本人たちは見ていました。
 好奇心に駆られた日本人がその料理は何かと問うと、ポルトガル人は“クワトロテンポ-ラ”と答えました。ポルトガル人がいいたかった本当の意味は、カトリック教会の暦にある四旬節(Quatro Tempora)のことでした。
 カトリック暦では、復活祭前の40日間は肉食を避け、魚や穀類を食べたり断食をしたりして、身の精進潔斎をはかることになってます。
 クワトロテンポ-ラという カトリックの四旬節から来たことばが、天麩羅の語源みたいです。
 ポルトガル人が食べていた単純な揚げ物料理を土台にしながら創意工夫を重ね、天麩羅という洗練された日本料理を作り上げた日本人の料理感覚は、世界誇るべき日本人の資質の一つではないでしょうか。

 日本に行って体重が減ったもう一つの理由は、ひたすら歩いたことです。東京の地下鉄、JRを利用する際に歩く距離は半端ではありません。駅の階段の上り下りも減量に多大な効果があったと思います。日本にはまだまだ多いエスカレ-タ-のない駅をそのときは呪ったものですが、今となっては感謝しなければなりません。
 とにかく、車を多用するブリュッセルの日常生活とは比べものにならない運動を日本では毎日やったわけですから、体重が減ったのも当然なのでしょう。
 今度ベルギ-の皆さん向けに、「日本減量ツア-」、「日本料理を食べてダイエットしよう」「2週間で3Kg減保証ツア-」など作って売り出したら成功するかも知れません。もっとも、昨今の超円高、ユ-ロ安が改善されないと無理でしょうが。

 標題とは関係のない話しを書いてしまいましたが、標題に戻ります。
 イタリアにイタリア語勉強で一ヶ月間行ってた時、日頃読みたいと思っていた本を何冊か持って行きました。その中に現在のフランス料理が直面する問題を扱った本が2冊ありました。一冊は「La Cuisine Française, un chef-d’œuvre en péril(危機に面している傑作、フランス料理)」という本でMichael Steinbergerというアメリカで最も有名な料理並びにワイン評論家が書いた本。もう一冊は「Le Livre Noir de la Gastronomie française(フランスの美食についての黒書)」という本でAymeric Mantouxとmmanuel Rubinの共著の本です。二人ともフランスの著名なレストラン、料理雑誌の編集長で、食味評論家でもあります。
 二冊の本は、ユネスコの世界遺産に登録されたフランス料理が実は危機的状況にあるという点で共通の認識を示しています。

 日本もそうですが、今や世をあげてのグルメ、料理ブームです。
 フランスのテレビTF1の「Masterchef」(セミプロ級の料理愛好家が技を競う番組。この番組で優勝して一流のシェフになった人もいる)やRTLの「Dinner presque parfait(殆ど完璧なディナ-)」(友人、知人を家に招いての食事で、料理を作る段階から番組が始まり、食後に料理の評価の点数がでる)などの人気番組 を始め、どこのテレビ局でも料理やグルメの番組をやってます。
 テレビだけではありません。フランスのインタ-ネット上には、料理のレシピに関するブログが1200件はあるそうです。料理やグルメについての出版物は数が多すぎてて見当もつきません。それでもフランス料理は危機的状況にあるのでしょうか。

 1970年代には、どんなに有名なシェフでも表舞台に出ることはありませんでした。料理人がキッチンから出ることはありませんでした。
 それがヌベルクイジンヌの旗手、ポ-ルボギュ-ズ、ジョエルロブション、アランシャペルなどの料理人が世に出るにおよんで、状況が変わってきます。
 それまでは料理人の名前より、どこそこの料理という基準でレストランを選んでいた客層が、シェフの名前でレストランを選ぶようになってきたのです。さらに、雑誌やテレビが有名シェフを取り上げて記事や番組を作るようになると、彼らは一躍スタ-扱いされるようになりました。
 こういう社会現象を銀行や投資家が黙ってみてません。そのシェフに投資することが商売になるとわかれば、地方の小さなレストランを改装して豪華レストランにしたり、都会の富裕な客層に来てもらうためのヘリポ-トを作ったりする資金を融資するようになります。

 そして、有名シェフが料理よりも自分の事業拡大に熱意を傾けるようになってきます。ポ-ルボギュ-ズ、ジョエルロブション、ジョルジュブランらがフランス以外にニュ-ヨ-ク、東京、香港などに次々とレストランを開き、一大料理帝国を築いていきます。彼らにとって、料理の質より事業の拡大がより大事の目標になってきます。
 冷凍食品に有名シェフの名前をつけるだけで、売り上げが30%は伸びるといわれてます。勿論、シェフは自分の名前をつける冷凍食品の品質には責任をもつのでしょうが、そのために支払われる名義料は通常70万ユ-ロ以上だそうです。
 皆さんはス-パ-でベルギ-の有名シェフの名前や写真入りの冷凍食品を見たことはありませんか。二つ星や三つ星レストランのシェフが出ています。ただベルギ-の有名シェフは、自分のレストランの料理に専念する人が大部分なのでまだいいほうでしょう。一人だけ某二つ星レストランのシェフが、他にレストランを二つ経営してますがベルギ-では例外です。

 これは実話です。
 フランスのある雑誌が某有名シェフを取り上げ、彼が料理する姿を写真にとることになりました。ところがこのシェフはある料理の手順をどうしても思い出せなくて、自分の弟子の料理人を呼んで助けてもらったそうです。
 ポ-ルボギュ-ズの後、現代フランス料理界の大御所といわれるアランデュカスが、「大多数の有名シェフはこの20年間自分で料理を作ったことがない」とはっきりいってます。当然、アランデュカス自身も作ってないのでしょう。
 パリの三つ星レストランのシェフ、ヤニクアレノが料理人を目ざす動機となったのが、ある日、有名シェフがパリの高級ブティックに真っ赤なスポ-ツカ-で乗りつけるのを見たからだそうです。
 パリの某有名シェフが、ある雑誌のインタビュ-で収入を聞かれた時の答えが、「芸術に値段はありません」でした。ちなみにこのシェフがテレビの料理番組に出る時の謝礼が、一回15万ユ-ロだそうです。
 世界遺産にまでなっているフランス料理の担い手が、料理もせず金儲けと事業の拡大に走り回っている姿は、確かに危機的状況と捉えてもいいのかも知れません。

現代のフランスの平均的家庭が料理に費やす時間は38分だそうです。かつてのフランス人家庭は、料理に平均3時間は使っていたそうですから大変な違いです。世の中がこれだけ忙しくなり、共働きが当たり前になっている現代社会で、料理に3時間もかける余裕がないのは当然です。
 しかし美食の国フランスの国民が料理に38分しか使わないというのは、ちょっと寂しい気がします。フランスの有名シェフが一様にいってるのが、子供の時から台所で料理をするお母さんの姿や、お母さんの作る料理の味が自分の料理の原点だということです。
 冷凍ピザをチンして食べさせられてる現代の子供たちが、どうやって料理人を目ざすのでしょうか。お母さんが時間をかけてよく煮込んだ料理や、たんねんにソ-スをかけながら焼いた鴨料理など、今の子供たちには無縁の食べ物になってしまったのでしょうか。

 皆さんはマクドナルドの店がフランスに何件あるかご存知ですか。今のところ11000件あります。フランスはアメリカに次ぐマクドナルドの巨大市場なのです。そして、フランスマクドナルドはアメリカの倍のスピ-ドで売り上げを伸ばしています。
 フランスの農業関係者も、マクドナルドのフランス農業への貢献度を認めざるをえなくなっています。フランスマクドナルドの食材の75%はフランス産の農産物や畜産物を使っているからです。
 美食の国フランスの人たちがこんなにマクドナルドを利用している事実は驚きです。
フランス人は平均年に150回は外食をするという数字が出てます。フランス全土で16万件軒のレストランがありますが、その中で60ユ-ロ以上の料金を取るレストランは全体の2%しかありません。
 安くて早いマクドナルドが伸びる理由は、フランス人の食への考え方が変わってきたということでしょうか。
 昔からいわれているフランス人の食に対する考え方は次のようなものです。
 「食事は身体を維持するだけの行為ではない。それは社会的な行為である」
 「よくないワインを飲み、まずい食事をしてる時間はない。なぜなら人生は短かすぎるから」

 料理は文化です。文化は伝承されるものです。文化伝承の歴史のなかで、他文化の影響を受け、これを自文化のなかに取り入れることによって、文化はより豊かになっていきます。顕著な例がフランス料理における日本料理の影響です。
 今や、フランスの名のある料理人で、日本料理の影響を受けてない料理人はいないと断言してもいいでしょう。洗練された日本料理をみて、且つ味わいながら何も感じない料理人は一流とはいえません。優れた料理人の感性は、優れた料理に対して敏感でなければなりません。
 ジョエルロブションは自分の事業のためよく日本に行きますが、彼の訪日時の最大の楽しみは、東京銀座の三つ星鮨店「すきやばし次郎」で、店主の小野二郎さんが握る鮨を食べることだそうです。

 わたしが読んだ本の著者は、フランス料理を駄目にしている原因の一つがミシュランの星だといいます。彼らの厳しいミシュラン批判を紹介します。
 かつてのミシュランは比較的公平な目でレストランの格付けを行ってきたが、今や独裁者ミシュランになりさがった。星が欲しいレストランは、ミシュラン好みの料理、ミシュラン好みの内装、照明、サービスをして媚を売ろうとしている。星をもらえばもらったで、ミシュラン好みスタンディングを維持するため過分な経費をかけなければならず、倒産にいたったレストランさえでている。
 元ミシュランの調査員、パスカルレミが暴露しているように、一部の三つ星レストランは手を触れてはならない聖域化している。調査員の数は圧倒的に不足しており、各レストランの公平な調査は不可能である。
 また、ミシュランに受けがいいジョエルロブションの弟子が開店数ヶ月で星をとっているのに、GaultMillauやフランスの名だたる食味評論家が最高点をつけているウィリアムルドゥイは最初の星を取るのに8年もかかっている。

 独裁者ミシュランへの反逆者が出てくるのは当然である。パリの三つ星レストラン、ルカカ-ルトンのシェフ、アランサンデレンは、「ミシュランの星を維持するために一人400ユ-ロもする料理を作るのはおかしいし、異常だと思う。これから簡単でおいしい料理を作っていきたい」といって、ミシュランに三つ星を返上した。面子をつぶされたミシュランは、サンデレンが新たに開いたレストランに、いきなり二つ星をつけるという子供じみた報復を行った。
 専門家の厳しいミシュラン批判にも拘わらず、星がつくのとつかないのとではレストランの評判も売り上げもがくん違ってきますから、されどミシュランなのでしょう。

 ところでお父さん、お父さんもこれからはミシュランの星などに頼らずに、自分の舌でおいしいレストランを探したらどうですか。人生は短いんですよ。(かんとう)